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モンゴル爽快旅日記 その1

8月 モンゴル旅行に行きました

その最大の目的は、大草原での乗馬だったのです🐴‼️

 

一昨年の暮れから、乗馬教室にジワーッと通って20ヶ月

乗馬を、ゴルフ⛳️とかスキー🎿みたいな「旅先のアクティビティ」にしたいという思いで、習っております

しかし、まだ70鞍しか乗ってない

ただただサラブレッドの背中にまたがっているだけです😅

そんなある日、乗馬教室のロッカールームで、見知らぬ会員さんと世間話をしていたところ

モンゴルでの乗馬はいいわよ〜❤️」

ものすごい勢いでお勧めいただき、

これは…初の「乗馬で海外遠征」するしかない!!という気持ちが高まったのです

 

さっそくググり、日本資本の、ゲルっぽいホテルを見つけ、速攻でメール予約💻

次にJALとANAのサイトを見たら…モンゴルへの便が、超少ない😦!

チャッピーコーチ(ChatGPT)にうかがうと、MIAT(ミアット モンゴル国際航空)✈️が成田からほぼ毎日就航してるというので、これまた速攻でtrip.comで予約

 

そして順調にモンゴルへ渡航(ビザも、予防接種も要りません)

 

着いた翌日、さっそく乗馬〜

生まれて初めての、大草原で駈歩(かけあし)

自分としては爆走です😆

 

ぜひ小柳のYouTubeショートをクリックしてごらんください🤗🤗2分です❣️

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https://youtube.com/shorts/AvUVniXF4po?si=fWqnxLz_9l0IbTUz

⬆️⬆️⬆️

モンゴル馬は、サラブレッドより二回り小さい

体重300kg台しかなく、高さも低い

わたくしのような初心者🔰でも、踏み台なくサッと乗れます

 

ちなみに私が通う日本の乗馬教室の馬はサラブレッド(引退した競走馬)なので、体重450~500kgで、身長も高い

初級者は、騎乗するにも踏み台必須

わたくしビビりな性格ゆえ、馬の大きさに怯え😨、乗る行為だけで緊張😰

さらに輪をかけて、サラブレッドは極端に神経質。産まれてから5歳くらいまでの競走馬時代に、それはそれは大切にされてきたおぼっちゃまお嬢ちゃまたちなので、めちゃくちゃ気を遣わないといけないのです

 

一方でこのモンゴル馬たちは、最初からヒトのためにヒトやモノを運ぶために育てられてる。しかもマイナス30℃の冬も越す

強くて、優しくて、従順。日本から来た一見のわたくしでも、スッと乗せて、ほいほい駈けてくれた

はじめて、馬をかわいいと思いました😍笑

初日は25km近く乗せていただき、お尻がヒリヒリ🔥になっちゃった

でも〜

楽しすぎて、2日目も10kmくらい乗りました‍🔥‍🔥

ヒリヒリの2鞍です😅

乗り方もなにもかも下手くそだけど、本当にむちゃくちゃ興奮したし楽しかったです❤️

日本では、ぜったいこんな経験できない

皆さまにも絶対的にオススメです❣️

 

日本の乗馬教室も、ブリティッシュスタイルの「馬術部」ばかりでなく、もっとカジュアルに、モンゴル馬みたいな小さいお馬をガンガン駈けさせるウェスタン的なのがないかな〜🤔

 

そしてモンゴルと言えば、満天の星空

しびれました。

夏の大三角形(織姫と彦星ともう一つ)と天の川が、くっきりと見えた。流れ星だけでなく、人工衛星までもよーく見えました

 

4泊お世話になったホテルは、日系の「HSハーンリゾート」さん。ハーンはチンギス=ハーンのハーン、つまり「皇帝」。そして、日本人オーナーさんのイニシャルがHS。オレは王だぞ👑ってことね

 

独立したゲル風の大きなお部屋が、20室ほどあります

わたし、ホンモノのゲルに泊まるツアー(トイレはゲルの近くに掘ってある、等)はムリなので、あくまで「ゲル風」を探したの😉

要は、円形のホテル 笑

これが、快適でした!シャワーも浴槽も、ウォシュレットも完備!

なんと言っても、天皇皇后両陛下が7月にモンゴル訪問された際にご休憩されたお部屋の、隣の部屋だったの🤲🏻

大変ありがたい気持ちで過ごせました🙏

モンゴル国🇲🇳は

国土の広さ 日本の4倍

人口 日本の1/40

平均年齢 27歳😍 (日本はおよそ50歳😭)

夏の日中の気温は20〜25℃、冬はマイナス30℃

日本と何から何までぜんぜん違う!

 

これだけ国土大きくて人口少ないと、インフラはもちろん完全ではないけど、

日本のODAもかなり貢献している。まだできて数年のチンギス=ハーン国際空港は大変キレイでした

飛行機✈️で5時間足らずの国なので、わたくしみたいな仕事を長期間休めない人にも、いい旅先です!

(次回に続く!)

 

第75回読書ブログ『ノモンハン事件』@モンゴル

夏休みは、初めてモンゴルへ行きました🇲🇳

4泊5日

初日は成田14:40発の便で4時間ちょっとのフライト✈️

ウランバートルの空港からは名物の大渋滞で2時間近くかかり、ホテルに着いたら現地時間22時ちょっと前。

運良く晴天でしたので、そのまま星空観察しました🌌

そのあと3日間は、一生懸命遊び🐏🐴

5日目は早朝4:30ホテル発✈️ 諸事順調で、15:30には自宅に戻ってました

短い旅でしたがすごく満喫できました

旅の日記は次回のブログで🤗

 

さてこの夏のモンゴルと言えば、

さる7月6日から8日間、天皇皇后両陛下が国際親善のために公式訪問なさいましたね

モンゴル旅行を計画していたわたくしとしては、たいへんありがたい気持ちになりました🤲🏻🇯🇵

モンゴル航空の機内誌でも、大きく取り上げていました😃

両陛下は、ウランバートル郊外の「日本人死亡者慰霊碑」に、黙とうを捧げ、供花なさいました

第二次世界大戦の終戦後、旧ソ連軍は日本兵や民間人を多数抑留しました。そのうちモンゴルで亡くなられた日本人がおよそ1700人。その方々の慰霊碑だそうです

わたくしシベリア抑留については少し存じておりましたが、恥ずかしながら、モンゴルにも日本人が抑留されていたことは知りませんでした

戦後80年の節目

異国の地で無念のうちに亡くなられた日本人の魂が少しでも慰めれることを祈るばかりです

 

そしてわたくしの旅

この一冊をお供にしました

『ノモンハン事件』小林英夫著

「ノモンハン事件」。旧日本軍が「なかったこと」にしてしまった、モンゴル・ソ連連合軍との武力衝突のこと。1939年5月から9月に起きた、国境紛争です

今回モンゴル旅行するにあたり、この歴史は知っておかねば!と思い、この本を手に取ったの

===

当時の日本のかいらい国・満州国がモンゴルと国境紛争を起こし、それが大日本帝国軍(の関東軍)とソ連モンゴル連合軍との事実上の戦争に拡大したものです

どの国も宣戦布告していないので、国際法上のオフィシャルな「戦争」ではないのだけれど、

モンゴルでは「ハルハ河戦争」と呼ばれる、歴史の一大事だそうです

 

ハルハ河とは、モンゴル東部の、戦場の真ん中を流れている河。東岸・西岸がそれぞれ日本軍・ソモ連合軍の陣営となった

モンゴルの方々からすると、大日本帝国という強国から(ソ連のチカラを借りたものの)故国の領土を防衛した聖戦なのです

 

われわれの「元寇」への思いに似ているのかな

ノモンハン「戦争」の700年前、他でもないモンゴル帝国に2回侵略されかかった日本が(天候のチカラを借りたものの)敵を撃退したことにより、「日本は神国である」と広く信じられたのと、少し重なる気がします

===

ノモンハン「戦争」は4か月続き、日本軍の死傷者数は1.7万人、ソ連・モンゴル連合軍は1.2万人以上とのこと。本当に驚きました

そして日本は大敗

しかし満州や日本では、負けたことは徹底的に隠蔽され続けました

この隠蔽はその後の日本で続いていきます。同年1939年に始まった中国との「戦争(これも宣戦布告はしてない)」、さらに1941年12月からの太平洋戦争を通じて、軍の発表する内容しか報道されなかった

現代の日本の、国や自治体や企業は、さてどうでしょう?「失態を隠蔽してもいいことはない」と、80年前の敗戦から学んでいるかしら

===

ウランバートルのチンギス=ハン国際空港が近付いて来た時、機窓からモンゴルの大地を撮りました🙂

ひたすら続く草原、大地

丘はあるけど山はない

この景色が延々と続いているの

この景色ひとつとっても、日本とは風土の全く違うところだと想像できる

そこに、「日本は優勢だ」とウソを聞かされた兵隊さんたちがたくさん送り込まれる

ところが日本軍は、戦闘機も戦車も時代遅れ

これは理由があって、第一次世界大戦に本格的に参戦しなかった(のに、戦勝国の一員になってしまった)ため、大日本帝国のえらい方々はものすごく油断してしまったそうなんです

 

かたや、欧州戦線で大量の戦死者を出した列強各国は、

①これからの戦争は、軍人だけでなく全国民を総動員した「総力戦」になること

②これからの戦争は、飛行機や戦車さらに大砲など最新鋭の兵器の競争となること

③上記から、これからの戦争は、物資を欠かさず戦場に送り続ける「兵たん」が超重要であること

などを、(第一次)世界大戦で骨身に染みて学んだ。そして20年間、①②③に全力を注いできた

 

しかし日本軍は、、、外国軍はすぐモノに頼る、それはヤツらの精神力が弱いからである!と決めつけて、

貧弱な装備でたくさんの兵士を無駄死にさせた。しかも、食糧はもちろん水すらも準備しなかった。

ひどい話です😔

この、装備の貧弱さや、兵たんの軽視、そしてそれを「精神力でカバーしろ」と命ずるえらい人は一向にいなくならず、

対米戦争でも大量の日本兵を無駄死にさせました。アメリカ軍に殺された兵隊さんより、餓死・病死した兵隊さんのほうが圧倒的に多かったのよね

さて現代の日本には、こんなえらい人は、さすがにもういない…..かしら?

===

ノモンハン戦争では、日本軍は全滅寸前となり、事実上の降伏。1939年の9月16日にソ連と停戦協定が結ばれます

その2年後の1941年4月には、意外にもソ連からの提案で、日ソ中立条約が結ばれる。両国の友好だけでなく、ソ連は満州国を、日本はモンゴル国を、それぞれ侵略しませんという約束

ソ連からすると、西からナチスドイツに攻め込まれるから、東から二度と日本に攻めてほしくなかったのね

でも〜

1945年8月9日、ソ連はこの条約を一方的に破って満州などに攻め込みます。日本の無条件降伏のあともソ連は攻撃をやめない

なんとアメリカ軍のマッカーサーが8月30日に日本を占領開始したのにやめず、停戦したのは9月5日になってから、、、

 

戦後、モンゴルはソ連の強い支配下に置かれますが、東欧諸国と同様にソ連崩壊によって「独立」。1992年2月に、社会主義を放棄して、いまの民主主義国になりました

 

モンゴル読書ブログは以上です

次回は、モンゴル旅行を報告します😊

 

YouTubeショート↓↓クリックしてご覧ください🙇‍♀️

https://youtube.com/shorts/7en2QV0VW94?si=kOR0lFJ5CBnS3pnI

シミ・くすみにアオハルのフォトフェイシャル

暑い暑い夏☀️

お肌のシミ・くすみ、ケアしたいですね〜😄

美肌の王道治療は、フォトフェイシャルです

 

50代女性の症例をお示しします

シミ・くすみ、そしてお肌の表面がゆるんだ感じでお悩みのモニターさんです

フォトフェイシャル 1回の治療で、一週間の経過です

「ダウンタイムは気にしない」という方でしたので、パワー設定を強くして照射しました (もちろん、ヤケドしないようにしっかりコントロール)

 

治療当日は赤くヒリヒリとした状態

翌日には、写真中央のようカサブタができました

代謝が早い方でしたので、1週間後にはカサブタは脱落。小さなシミが取れて顔色全体が明るくなりました

肌分析のVISIA撮影では、顔の赤みも改善しました

フォトフェイシャルは、治療回数を重ねるほど、効果実感が持てる治療です

なお、シミがフォトフェイシャルでカサブタになることを「効いてる!」と感じる方がおられますが、みなさまに必ずカサブタができるわけではないの

もともと肌色の白い方や、シミが薄い方には、カサブタの反応は出ません。しかしちゃんと効いているので、肌色が明るくなり、ハリが出てきます

 

また、大きなシミには、フォトフェイシャルよりもQスイッチルビーレーザー治療がより効果的です

 

フォトフェイシャルについて、久しぶりに動画を撮ってみました。YouTubeショート用の1分

↓↓↓リンクをクリックしてチェックお願いします🙇🏼

https://youtube.com/shorts/GwsyHmQd5S4?si=K9Aksc573YsWJNNU